2006/09/29

未知の共有、既知との共有

作者(この場合の作者とは、単一の存在ではありません)が、作品を作るにあたって、向かう方向を大きく二つに分けるとします。

1既知の方へ向かう
2未知の方へ向かう

映画の場合、こと、「撮影:プロダクション」期間の場合、「向かう」という単語を「撮る」という単語に置き換えてみると

1既知の映像を撮る
2未知の映像を撮る

っていう二つに分かれると思います。

既知とか未知とか、なんかかっこつけて聞こえるかもしれないけれど、要は、「すでに分かりきっていることを撮るのか」、あるいは「まだ分からないところを撮るのか」ということになると思うのだけど。

小説とか絵画の場合、つまり、個人創作の場合は、これで一向に構わないわけです。

僕(ら)が直面しているように、集団創作の場合は、これじゃあいけない面も多いわけです。

僕(ら)の前作「客人について」のクルーシャルな問題点は、そこにあったのだと思います。つまり、監督は未知の方向へ向かっているのかもしれないけれど、残りのスタッフは、未知どころか、どこへ向かっているのかさえも分かっていない状況だったからです。

だから結局、僕(ら)が「客人」から学ばなきゃいけなかったことは(それでも未知の方へ向かいたいなら)「スタッフ内で、未知を共有する状況下で、撮影に臨む」という、いわば、未知の共有なんだと思います。

はい。薀蓄はこの辺で終わり。

早急に、「何を分かっていないのかを分かり、それを共有する」までいきたいと考えてます。


2006/9/29
笹本

lalala 002

ららら覚え書き

共有を考えます。

はじめからこうすれば良かったのですが、はじめは皆さんとどう接したらいいかよく分かっていなかったので、もう少し「プロっぽい」完成形の提示というものを目指してみました。

きっとそれでは僕の目指している映画作りと完全に矛盾していることになるので、混乱の最中、原点に回帰したいと考えます。

映画が集団創作である以上、むかしからある言わば「作家主義」的な、
作品があたかも監督の所有物であるかのような考え方は、もう死に絶えたものと思ってます。
別に、それが良いか悪いかじゃなく、単純に、それは過去の概念であると僕は考えてます。

映画が集団創作である以上、作品が単独の所有者に帰結しないのは明確で、日本の映画産業がどう考えているかは知らないけど、なのでとりあえず僕は、脚本を仕上げきれていない僕は、「ナゼ僕が脚本を仕上げきれていないのか」を皆さんに、なるべく明確に伝えたいと欲望してます。
ナゼ脚本を仕上げきれないのか?は、どういう脚本にしたいのか?に、繋がるような気がします。
ナゼ僕が脚本を仕上げきれていないのか?
それは僕には分からないことが多いからだと思います。
ごめんなさいね。
自分が「何を知らないのか」を知ることが大切なんだと思ってます。
ですので、僕が「何を知らないのか」を、スタッフの皆にも、知ってもらいたいのだと思います。
分からないことは多すぎて。

例えば「分からないこと」の一つには、「なぜ兄は家を出るのか」などがあります。
分からないこと全て描ききるのは原理的に(既知と未知のバランス的に)不可能と考えるので、とりあえずは、「分かっていること」の整理から入ろうと思います。
僕が分かっていること。

先ずは父性側から。

【父性の移行、父性の物語】
「兄が家を出て行く」物語であること。
「兄に対する弟の目線が、ポジティブなものからネガティブなものへと、憧れから軽蔑へと、熱いものからクールなものへと、変化する」物語であること。
「兄は潜在的に弟にだけは見破られたいと考えている」ということ。
それは何故かと言うと、
「兄がちょうど弟の現在の年齢(17)くらいだったころに、父のそれを見破った過去があるから」で、多分、
「自室の壁中の落書きの文字列は、父のそれを兄が見破った時に、その感情のはけ口を他に知らなかったから、自室の壁中に書き殴った」
ものだと思います。
ここは凄く大切なところな気がするので、もっと分かりやすくする為に、プロの文章を引用したいと思います。

「子供が大人の正体を見破った時——大人が神のような理知を持っているわけでもなく、その判断もときに愚かしく、思考もときに過ち、意見も公正をかくことがあるということが、深刻な小さい頭の中に初めて入り込んだ時、子供の世界はただわけもなく荒廃に帰してしまう。神神は転落し、一切の安定が失われてしまうのだ。そして神々の転落に関しては一つだけ確実なことがある。それは少しだけで止まらず、転落するとなれば、木端微塵に砕け散るか、青黒いどぶ深く沈んでしまうかするということだ。そして子供の世界は決して完き形を回復しはしない。」

ちょっと長いですし、新鮮味も失われ、訳もあまり活き活きとしておりませんが、スタインベックの書いた文章で、だいたい、僕の描きたい「発見の瞬間」の模様が分かりやすく書かれていると思います。
話を戻すと、昔、兄は、「父が、自分の思い描いている理想とは全く異なる」ことを発見し、上記引用のような「発見の瞬間の瓦解」を迎えたんだと思います。瓦解後、再構築のため(あるいは瓦解の経過として)自分の部屋のいたるところに、言葉を書きまくったんだと思います。その言葉達はおそらく、父に対して発したくとも発することのできなかった言葉達なんだと思います。
兄はきっと、書きなぐった後、無力感/脱力感におそわれます。書ききったのに、別にすっきりしないのです。それもそのはず、だって、問題は何一つ、具体的な形では解決されていないのですから。その時その場で、実の父を部屋に招き入れ、その文字列を面と向かって父に提示することができたなら、あるいは、問題は解決されたかもしれません。しかし、それは成されず、むしろ、部屋を見られたくないという、悪循環的相乗効果が開始されます。
兄は、部屋を封鎖します(封鎖って、70’sっぽくてイイ表現だね)。部屋の封鎖。
もちろん、封鎖後の引きこもり期に、床の穴はあけたものと思われます。
封鎖してはいても、現実的に外に出ないわけにはいかないので、下の階の、居間の、家族の様子を伺ってから、誰もいないとき、少なくとも父のいない時だけを選んで部屋から出ていったのだと思います。
自分は見られたくない。だけど、むしろその分だけ相手のことは観察していたい。そういう願望です。とにかく、その日から兄の「覗き」が開始されます。
この場合、「覗き」において大切なのは、「何を見たか」というよりは、「覗いている」というその行為そのものが(内容と方法が離別しているわけではなく方法と内容は表裏一体であるような)大切なんだと思います。

〜中略〜

家を出て行く日が近づきます。部屋を封鎖したままではいられないので、兄は、自身のCDコレクションで部屋の壁中の文字や穴などを隠そうと思い立ちます。さらに、机や家具等、自分の匂いのする過去のもので「捨てきれないもの」は、クローゼットの中に放り込みます。クローゼットは、上から板を貼付け、壁のようにし、他の壁面のようにCDで覆い尽くします。
部屋をからっぽにし、自分の大好きな音楽だけで固め、見た目はいたって整頓されており、空っぽの部屋で自分の大好きな音楽を爆音で流し、大切な荷物だけはスーツケースにおさめ、出て行きます。

〜中略〜

ハナシを戻します。「瓦解の瞬間」に戻します。

「それまで父を絶対的に慕っていた兄は、父が実は完全じゃないということに気が付き、それまでの父親絶対視が崩れ、部屋中に自分の感情を爆発させます」
ここの、父と兄との関係性が、今度は、兄と弟との関係性に移行します。移行した瞬間が、この映画の舞台となります(前置き長くてごめんなさい)。
上記「」内の文章の、「父→兄」に、「兄→弟」に置き換えるとこんな具合になります(関係性の移行、それが今回の映画の一つの大きなテーマです)。

「それまで【兄】を絶対的に慕っていた【弟】は、【兄】が実は完全じゃないということに気が付き、それまでの【兄】絶対視が崩れ、部屋中に自分の感情を爆発させます」

だんだんと見えてきました。大枠はそういう感じです。大枠が見えてきたところで、深入りする前に、とりあえず母性側にハナシを持っていこうと思います。


【母性の移行、母性の物語】
例の、「分かっていること」「分からないこと」にハナシを戻します。
母性側の物語での「分からないこと」を明確化するために、「分かっていること」を書こうと思います。
父性側と比べて、こちらの方が現在の時点では不明瞭な部分が多いです。
まず、兄の視点から。
分かっていること。

〜中略〜

母語に関して。兄は、母親と母語を共有する形で育ちました。この点が、弟と最も異なる点です。弟は、母語を母親と共有できずにいます。分かりやすく言うならば、弟は、母語を持っておりません。その経緯について軽く触れておきます。
兄は、生まれてから物心つくまでの間、もっと分かりやすく言えば弟が生まれるまでの間、母親のことを独占しています。故に、家庭内における会話も母親と直接行いながら育っていきます。英語を身につけるわけですね。
対して、弟は、育ちながら、家庭内に兄がいたため、どうしても兄との会話が多くを占めて育っていきます。兄はその頃になると、主言語が家庭外で育まれている日本語に切り替わっているので、英語を話すことももちろんできるのですが、弟とは日本語で話すことが多くなります。それは例えば、兄の中で、「同世代の友達」と話すときに使用する言語が日本語であるため、反自動的に(そして物心つけばつくほど)弟に対しては日本語を使用していきます。例えば、兄、兄の友達、弟の三人で遊ぶシチュエーションがあるとしたら、兄はその時弟に英語で話しかけるわけにはゆかないので。弟の視点に戻すと、兄との会話が中心だった為、英語力が兄に比べて未発達のままです。

母性に関して。繋がるようにして、母性に関してなのですが、兄は、「母性を独占する」という経験を得て育ちました。対して弟は、「母性を独占する」という経験を持たないため。この差もまた兄弟間の差異によく表れます。兄はつまり、弟の介入により独占状態を失ったわけですから、どこかで弟を追い出したい感情を持っています。つまり、日頃から弟をいじめたり弟に威厳を見せつけたりしてきたこと(結果的に弟が兄を絶対視し慕うようになるまでの経過)は、必ずしも、父に抑圧されている兄が、その関係を弟に当てつけたいからだけではなく、母性側にも原因は見られます。

母語に戻ります。今の段階では、母語側の物語では、兄が主人公です(この場合の主人行の定義は、物語と始と終で最もドラマチックな変化を遂げる人物のことです)。兄が主人公なので、その必然を説明します。上記でもあるように、兄にとっての母語は英語です。しかし、国語は日本語です。これは、大きな不一致です。兄は、日本語で甘えることを知らずに育ちました。父親とは日本語でも話せたのですが、もちろん、絶対視している父親に甘えるはずなどありません。そこで兄は、恋人と出会ってから、日本語甘えることも覚えたのです。その後、兄は、英語を使用する必要がなくなります。今までは、極端に言えば、英語は甘えるた(母親とコミュニケートするため)だけに使用されていた言語だったので、それ意外の生活局面では常に日本語を使用していました。そこで、生活に日本人の恋人が介入してからは、甘えるための言語さえも日本語に置き換えることができるようになったので、兄は、英語に対して(母親に対して)クールな態度を持てるようになったのです。兄が、シニカルに母親と接することが出来るようになったのは、その時点からと思われます。それでも母親は結局のところ、兄自身が英語という言語運用能力を習得した理由そのものであることに変りはないのですから、兄が、英語を使う限りは、母は、兄にとって掛け替えの無い存在であることに変りはありません。ただ、母親による兄の独占が、恋人の介入によって、終了しただけのことです。兄の視点から語るなら、恋人の介入によって、兄には、選択の余地が(甘えるための言語使用の)浮上したことになります。

続・ららら覚え書き

父性側の物語で何を書きたいかはだいたい掴めている。
「父>兄」→「兄>弟」

もしかすると、父性と母性の二重構造にこだわり過ぎなのかもしれない。
では、父性をメインとした時に、結局父性を描くには対極にある母性も描かなければ(両者が対極と仮定したならば)ならないわけだから、二項的に別々に意識するのではなく、父性をよりよく描くために母性を描くと言うアプローチ。

兄の、父に対する愚痴は、
兄→母→父
という形で常に吐き出されてきた。
ではナゼ、部屋に書く必要があったのだろう?

「その昔、兄がまだ純粋だった頃、父の不完全に気が付いた時、瓦解の瞬間、兄はその感情を何故母親にぶつけずに部屋の壁にぶつけたのか?」
「母親を回避した理由は?」
本来のところ、ナゼ母親を挟むことになったのか。それは、やはり、両親の結婚に恨みがあるからだ。両親が結びついたことに恨みがあるからだ。両親の、その関係性を責める。スタートは、父を責めたい。父を責めたい。責めたいけれど、直接は責められない。自伝に純粋に基づけば、直接責められない→代弁者を求める→母に宛つける。母に宛つけないのは、まだ、母を大切に思ってるから。

〜中略〜

思考が完全に停止している。まずい。何を考えたらいいのかがまず分からない。何を考えるべきかがまず分からない。

続々・ららら覚え書き

結局のところ、兄と弟の物語なのだ。
結局のところ、そうなのだ。
今から、変えようと思えば母と恋人は変えられる。設定だけでも、変えられる。

恋人設定の登場人物に、弟との関係性が必要だ。
伝言、とか。
何かを、兄→恋人→弟、あるいは、弟→恋人→兄、のように、恋人が兄と弟の間の何かを司っている必要がある。
と言うのも、「母」なら、具体的に、行動的に仲介を経ることがなくても、あきらかに兄にも弟にも関係があるのは当たり前なのだから。

〜中略〜

兄と弟のすれ違いには、「何か」が必要だ。例えば誤解が必要だ。弟が兄に求めるものをヴィジュアル的に裏切る「何か」が部屋にあることが必要だ。

〜中略〜

断筆。

2006/9/29
笹本

2006/09/22

センテンスとカット

文章のセンテンスと
映像のカットとが
ニヤリーイコールな関係にあると
先日ふと思いました。

先日、内田樹さんと柴田元幸さんとの講演会
「文学の力、翻訳の力」
に足を運びました。

そちらで、内田さんが、
レヴィナスの翻訳をしている時のことを引き合いに出していました。
レヴィナスの、センテンスの長さ、呼吸の長さ、息継ぎの長さについて話されてました。
そう、センテンスを息継ぎに例えることを考えた時に
はじめて、映像のカットと似ているのかなと考えました。

すーっと息を吸い込んで、口をスッと閉じて
息を止めている間にワンセンテンス書ききるイメージは
とても説得力があります。
ふーっと息を吐き出す瞬間に「。」が訪れるイメージもよく分かります。
映像を、特に撮影を必要とする映像のことを考えたときに、
両者は密接にリンクしているように感じました。

2006/9/22
笹本

2006/08/30

lalala 001

現在進行中の「la la la (仮)」が、
色々な意味で早速行き詰まっているので、
自分自身への戒めも兼ねて、
初心に還ってみようと思う。


2006年度「ぴあ・フィルム・フェスティバル」(以下PFF)の影響が大きかったとしか言いようがない。

グランプリは、掌握範囲内だ。

グランプリをとる秘訣は、映画としての完成度の高さ、それだけだと言い切っても、過言ではない気がする。
内容や主題、そういったものではなくて。
映画のデジタル化が落ち着きを見せたことにより、20年前と比較すれば、「誰でも映画が撮れる時代」になり、だからこそ、稚拙な作りのものが目立ってくる中で、「映画としての完成度」が問われているのかなと思うと、まあ、納得いかないでもない。

「映画としての完成度」が「問われている」と書くと、言い過ぎかも知れない。
「問われている」というよりかは、必然的に、「完成度の高いものが希少」だからだろうと思う。

むかしむかし、映画製作は、とても技術的なものだった。
写真技術の発達とともに誕生し、その後も、基本的には記録技術と再生技術の発達と背中合わせで、映画史は動いてきている。
職人が作るものだったのだと思う。

僕自信がとても分かりやすい例なんだけど、デジタルビデオカメラでの撮影を「起源」とする作り手が、溢れかえってきている。
フィルムの価格、知識、技術と比べれば、ビデオカメラでの撮影なんて、小学生にだってできるほどの、敷居の低い作業だと思う。
そこを起源とする人間が増えれば増える程、技術的/経験的/知識的な敷居の高い(おまけにコストも高い)フィルムでの映画製作を行い続ける人は、減る一方であるに決まっている。

そこでの落差が、たぶん、一つの反動みたいなものとして、現在の自主映画市場の、「映画としての完成度の低さ」を物語っているのだと思う。
もちろん、今の自主映画の作り手たちに言わせれば、自分たちの「映画としての完成度」が低いというよりかは、むしろ、過去のものが「完成度に寄り添いすぎていた」ということでもあると思う。
今が過渡期で、転換期で、過去の方法論のほとんど全てが意味をなくしている時期にあると思う。
そんなケオティックな状況にあるからこそ、観客の側に立てば、「それでも上映が終わるまで観るに値するクオリティー」はもちろん必要なのだから、そういう作品が希少であるが故に、グランプリをとるのも、いたって必然的だ。

僕自身も、カテゴリー的には、「映画としての完成度の低い」作品を作る部類に含まれている。
僕自身も、一向に「映画らしく」ならない自分の作り方に嫌気がさしている。

そんなおり、2006年度のPFFアワードを観て、そこで感じたことは、利害の一致だったのだと思う。
自分の不足面と、映画祭側の要求面とが、完全に一致している。

これは、この上ないチャンスなんだと思っている。
早急に、PFFの〆切に間に合わせる形で、次期作を企画してみた。

便宜的に「ららら語学の子」と名付けてみた。笑。
矢作俊彦氏の「ららら科学の子」からパロったのは、言うまでもない。
それにしてもひどい。
あまりにもひどいパロディーなのだけど、それでも便宜的にタイトルは必要なので、「la la la」に還元しておいた。

最近、引用やパロディーから、意識的に遠ざかることを止めている。
「オリジナリティーなんて、そんなもの、一体どこにあるんだい?」
というスタンスを出発点にしている。
完成した時に、作品のうちの、例えば5%くらいに、自分のオリジナリティーが見受けられれば、本望だ。


2006.08.30

4:00 a.m.

笹本

2006/08/06

祇園精舎のプロトコル

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり
シオン賢者のプロトコル、諸行無常の響あり

近しい人三人、各々が英語圏へと旅立っていった。
一人、5月にオーストラリア、パースへ。
一人、一昨日、アメリカ、ニューヨークへ。
一人、月末、イングランド、ロンドンへ。

一昨日、iを成田空港に見送りにいった。
プラクティカルに言えば、高校時代からの、今となっては一番付き合いの長い友人。
(中高一貫だったから中学時代から知ってはいたけど、付き合いだしたのは高校に入ってから)
彼はアマチュア物書きで、僕の知り合いの中では誰よりも音楽と文芸に精通している。

以前、彼と彼のまわりの人間が自主発行していた文芸誌「ムカウ」にだいぶ触発されて、かなりその方向性を引き受けながら、今は、定期的に僕と僕のまわりの人間が「展示会」なるものをやろうとしているところ。

何が書きたいのか良く分からない。

僕は、空港に弱い。
いつ空港に行っても、何とも言えないある一定の心情に達する。
どんな状況に置かれていても、空港に行くと、ある種の感情を抱くことになる。

「シオン賢者の議定書(プロトコル)」という文書がある。
日本列島に初めて「ユダヤ人」という観念が輸入されるきっかけとなった文書だ。
「シオン賢者の」まで読み上げてみたら、
頭の中では「祇園精舎の」って読んでいた。
鐘の声、諸行無常のプロトコル。
諸行無常のプロトコルなんてあったら、いいな。

流動性を議定してみる。結構、売れるんじゃないかな。
みんな、自分の都合に合わせて読めるようなものだろうから。

最近、近しい人が「artist, artist」と連呼しているので、その言葉をよく耳にする。

加えて、現在、音楽プロデューサーの方とのお付き合いが始まったので、
「もの作り」っていう言葉もよく耳にする。「クリエイター」も。

「クリエイター」っていう言葉は、非常に使い勝手がよく、流布していて、流れにのってしまったのか、僕もたまに使ったりする(相手にそう呼ばれることを否定しないというカタチで使ったりする)。

自分をどう呼ぶか、すごく大切なところ。
シュルレアリスムの画家ダリは、絵筆を紙面に宛てる前に、まず、恰好からアーティストっぽく攻めていったらしい。
あの髭具合とかね。

すごく賢い戦略だと思う。

イメージを固めて、現実には後からついてきてもらう。

言葉も一緒だ。
エクリチュールっていう概念がある。
たしかフェルディナン・ド・ソシュールっていう人が提唱した概念なんだと記憶している。

ちょっとややこしくて詳しい説明は省こうと思うんだけど、エクリチュールは、つまり、「意図的に選択する話し方」のことだと理解している。

違ってたらごめんなさい。

例えば、営業マンのエクリチュールっていうのがあって、いわゆる、「営業マンっぽい喋り方」を意図的に、営業マンに成り立ての僕らは選ぶことになる。
そうすることによって、自分の考え方や性格、人間性にまで影響を与えることになる。

僕は日英のネイティブ・バイリンガルなので、この、「エクリチュールによる人格形成」に関しては、かなり自信をもって、賛成している。

日本語を話す時の僕と、英語を話す時の僕とでは、明らかに人格が違う。
(ちょうど、今書いている脚本も、そういうことを扱っています)

日本のような国で、家庭内言語と社会言語とを使い分けながら育っていくと、ある、特定の癖がつく。

「相手に合わせて言葉を選ぶ」という癖。

これはもちろん、当初は、相手に合わせて、英語を使ったり、日本語を使ったり、っていうくらいの選択でしかない。ここから発展して、深まっていくと、言語だけでなく「言葉遣い」も相手に合わせて選んでいくことになる。
もちろん、例えば、「上司には敬語を使う」とかもその一例なんだけど、
僕の場合、その度合が、とてもとても深い。
「言葉遣い」に対して、異様に敏感なのだと思う。

空港。祇園精舎。ダリ。エクリチュール。

「祇園精舎の鐘の声」と「シオン賢者のプロトコル」とを
ミックス&コラージュしたくなったのも、
きっと、5-7-5のリズム感のせいなんだろうな。
言葉の持つ、リズム感。リズム感には、韻も含まれていて。

俳人はだから、5-7-5のエクリチュールで世界を見つめていたのだろうな。
だから、言葉を最小限に、かつ、リズミカルに、断絶的に、世界を美しく捉えて離さなかったのだろうと思います。

言葉の意味ではなく、リズム感だけで覚えている歌があります。
意味も、それによる情景描写も、後付。
とりあえず、韻の心地よさとリズム感。
子どものころ覚えて、頭から離れません。


金色の
小さき鳥の形して
銀杏散るなり
夕日の丘に

与謝野晶子


2006/8/6
笹本

2006/07/27

intro

はじめまして。

visualingual主催の笹本正喜と申します。
友であり同僚である大橋翔と共同で映像活動する際に、
visualingualという名前を便宜的に利用しようと思ってます。

どうぞよろしくお願いします。

目下のところは、
ちゃんとしたホームページを立ち上げるまでの間の、
「とりあえず」のブログとするつもりです。

自分たちの映像活動に少しでも興味を持ってくれた方に
たまに覗いてもらえれば幸いです。
(また、このブログを通して初めて興味を持ってくれれば、なお幸いです)

visualingualという名前の由来なんですが、
映像←→言語間の解釈のやり取りに主眼を置いているところからきています。

このブログでは、活動日記を中心に、その他映像に関わることを全般的に書いていくつもりです。
また、日々の思索なんかも書いていきます。

コメントやメッセージなど、お気軽にいただければと思います。
よろしくお願いします。

2006/07/27
笹本

2006/06/24

アメリカの夜



↑ Mantra @ roppongi edge





↑ Abyss @ roppongi edge



後日談的なブログですが、ライヴの期日通りにアップいたします。


正確に申し上げると、OLAMのライヴ撮影をする段階では、まだVISUALINGUALという名称は発生していませんでした。

OLAMの面々はシカゴでライヴ活動を行っていた日本人バンドで、のちのVISUALINGUALエンドウがアメリカ滞在中に知り合ったのを契機として、日本での初ライヴをササモト、オオハシなどが撮影することになりました。
(エンドウはこの時すでにオーストラリアに渡っていたので、残念ながらroppongi edgeのライヴには参加していません)

突発的なことながら、これがまたうまくいったと思います。

映像をご覧頂ければ分かるかと思いますが、撮影スタッフはステージにズカズカと乗り込み、もう楽器から1cmくらいのところまでカメラを寄せたりして、好き勝手にやらせていただけて、大変幸いでした。

ビデオ撮影はササモト、オオハシが担当。
写真撮影には、ササモト、オオハシ、エンドウらとアメリカ時代をともに過ごした八十川氏が担当。
編集は、OLAMとシカゴ時代からの知人である福島氏が担当。

現在のVISUALINGUALに勝るとも劣らない贅沢なスタッフィングでライヴ映像を仕上げることができました。
そして何よりも、音楽家とのつきあい方の一つのサンプルを明確に提示してくださり、その後のVISUALINGUALの活動の源となったことは言うまでもありません。
この場をお借りして、OLAMの面々、八十川氏、福島氏、ならびに六本木EDGEスタッフの方々にお礼申し上げます。
ありがとうございました。

2006/06/24 - 後日記
笹本