作者(この場合の作者とは、単一の存在ではありません)が、作品を作るにあたって、向かう方向を大きく二つに分けるとします。
1既知の方へ向かう
2未知の方へ向かう
映画の場合、こと、「撮影:プロダクション」期間の場合、「向かう」という単語を「撮る」という単語に置き換えてみると
1既知の映像を撮る
2未知の映像を撮る
っていう二つに分かれると思います。
既知とか未知とか、なんかかっこつけて聞こえるかもしれないけれど、要は、「すでに分かりきっていることを撮るのか」、あるいは「まだ分からないところを撮るのか」ということになると思うのだけど。
小説とか絵画の場合、つまり、個人創作の場合は、これで一向に構わないわけです。
僕(ら)が直面しているように、集団創作の場合は、これじゃあいけない面も多いわけです。
僕(ら)の前作「客人について」のクルーシャルな問題点は、そこにあったのだと思います。つまり、監督は未知の方向へ向かっているのかもしれないけれど、残りのスタッフは、未知どころか、どこへ向かっているのかさえも分かっていない状況だったからです。
だから結局、僕(ら)が「客人」から学ばなきゃいけなかったことは(それでも未知の方へ向かいたいなら)「スタッフ内で、未知を共有する状況下で、撮影に臨む」という、いわば、未知の共有なんだと思います。
はい。薀蓄はこの辺で終わり。
早急に、「何を分かっていないのかを分かり、それを共有する」までいきたいと考えてます。
2006/9/29
笹本
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